落恋注意(阿刀田高のTO-BE小説工房課題【標識】没作)

「落石注意の標識はな、落ちてくる石じゃなくて、落ちている石に注意しろって意味なんだってさ」

 月明かりに照らされた黄色い落石注意の標識を見て、健司が昔そんな事話してたなあと、ふと思い出した。

 健司とは、ついさっきまで私の彼氏だった男だ。

 大学のサークルで知り合い、何となく付き合い始めた。私が東京、健司が名古屋に就職が決まった後も、健司は毎週のように名古屋から東京まで車で五時間以上もかけて私に会いに来てくれていた。

 私は漠然と、将来は健司と結婚する事になるんだろうなと考えていた。

 いつもしわが付いた服を着て、寝ぐせの付いたぼさぼさ頭の健司。おせじにも良い男とは言えないけれど、一緒にいると落ち着くし、八重歯を見せながら笑う健司の笑顔は、いつも私を癒してくれた。

 今日は、健司の誕生日だった。私は健司を喜ばせるためサプライズで名古屋の彼に会いに行って、お祝いする予定だった。

 レンタカーを走らせて慣れない運転をすること約六時間。ようやく健司のアパートに着いた頃には、すっかり夜になっていた。

 インターホンを鳴らそうとすると、ドアの鍵が空いていた。健司ったら不用心ね。そう思いながらドアを開けると、健司の皮靴の横に、真っ赤なハイヒールが置いてあった。部屋の奥からは、健司と若い女の笑い声が聞こえてくる。

 私は黙ってその場を後にした。

 もしも道路に落石があったら、そのままぶつかって死んでしまいたい気分だった。結局、石は一つも落ちていなかったけれど。

 愛知県を抜けて、静岡の田舎道を走っていると、ピンク色の怪しい標識が目に入ってきた。それはハートの形をしており、白い文字で『落恋注意』と書かれている。

 これって、ラクコイて読むのかな? それともラクレン? いやいや、読み方なんでどうでもいいわ。落ちてる恋に注意ってどういうことかしら?

 標識を超えてしばらく行くと、沿道に親指を突き立てたポーズを取る、茶髪のチャラそうな男が立っていた。

 何だか怪しかったので無視して通り過ぎたが、一〇メートル程先に、また別の男が立っていた。七三分けにスーツ姿の、見るからに真面目そうな男だ。

 その後も、一定の間隔で様々なタイプの男達がヒッチハイクをしていた。なるほど。この男達と恋に落ちないように注意しろってっ標識なのね。だけどこれ、私にとってはチャンスかも。失恋を癒すには、新しい恋をって言うし。もしかしたら恋愛の神様が、ここで私が運命の人と結ばれるために、わざと健司に浮気をさせたのかも知れないわね。 

 私は徐行運転をしながら、沿道の男達をじっくりと吟味した。

 この人はおしゃれだけど、顔がいまいちね。この人の顔は好みだけど、服装が好みじゃないわ。

 この人も何かしっくりこない。

 この人もダメ。

 この人も。

 この人も。

 この人も。

 結局私は、どの男も車に乗せる事なく、この『落恋注意』の道を後にした。私は気付いてしまったのだ。新しい恋に落ちようと頭では考えながらも、どこかで健司に似た男を探してしまっている自分に。

 私は再び、名古屋に向かっていた。健司とちゃんと話し合って、もう一度やり直したい。その一心だった。

 健司のアパートに着くと、まだ電気が付いていた。私は深呼吸すると、ゆっくりとドアを開けた。まだあの赤いハイヒールがある。

 私は意を決して、部屋の中へと入っていった。

 健司は小柄で色白の大学生くらいの女と体を密着させながら、映画を見ているようだった。

「健司!」

「お、お前……何でここに?」

「そんな事はどうでもいいわ。誰よその女」

「ち、違うんだよ。今日仕事で静岡に行ってたんだけど、帰りの田舎道でたまたまこの子がヒッチハイクしてたからさ、こんな所で危ないなあと思って、乗せてあげたんだよ。そしたら、泊る所がないっていうから……」