親父のテレフォンカード(阿刀田高のTO-BE小説工房課題【電話】没作)

 親父が亡くなった。享年六四歳。平均寿命が九〇歳を超えた今の世の中で見れば、まだまだ早過ぎる死だ。

 親父は田舎の診療所で働いていた。医者の不養生とはよく言ったもので、親父は倒れる直前まで、休養もとらずに患者さんの往診をしていたそうだ。

「人は人の役に立つために生きなければならない。私利私欲に溺れるような人間にだけはなるなよ」

 こんな説教臭いセリフが口癖だった親父だが、その言葉を全うした人生を送った親父を、俺は心の底から尊敬した。俺は一生、こんな親父には敵わないだろうな。

 葬儀が終わり、妻と息子の健太が一足先に東京の家に帰った後、俺は母親と遺品の整理をしていた。

 親父の書斎の棚を整理していると、俺が子供の頃の懐かしいアルバムが出てきた。それを見ながら、お袋と懐かしい思い出話に花を咲かせた。

 すっかり時間を潰してしまい、急いで遺品整理の作業に戻ると、書斎の引き出しから、大量のテレホンカードが出てきた。

「親父ってテレホンカードを集める趣味なんてあったんだな。知らなかったよ」

「ああそれね。昔、お金が払えなくて困っていた患者さんがいたのよ。その患者さんがテレホンカードならたくさん持ってるっていうから、医療費代わりにもらったってお父さんが言ってたわ。それで許しちゃうなんて、お父さんもお人好しよね」

「親父らしいエピソードだな」

「もう今の時代じゃテレホンカードなんて使わないし、いらないわよね。捨てちゃおうか」

「いや、金券ショップとかに持って行けば売れるんじゃないかな。もしかしたらプレミアが付くかも」

「それならあんたにあげるわよ。売ったお金でケンちゃんにおもちゃでも買ってあげなさい」

「悪いねお袋。それじゃあ遠慮なくいただくよ。親父にも後でお礼言わないとな」

 数日後、東京に帰ってきた俺は、家から三駅離れた場所にある金券ショップへと出掛けた。

 その揺れは、金券ショップの最寄り駅から外に出た直後に起こった。あまりの大きな揺れにその場で倒れ込んでしまった俺は、そのままうつ伏せになりながら、揺れが収まるのを待った。

 揺れが収まると、駅前はちょっとしたパニック状態に陥っていた。

 泣き叫ぶ子供とそれを必死にあやす母親。

 興奮しながら大声で話す学生達。

 携帯で連絡を取ろうとするが繋がらず、苛立ちを隠せないサラリーマン達。

 俺も家族に連絡を取ろうとしたが、携帯は全く繋がらなかった。早く帰宅して家族の無事を確認したかったが、地震の影響で電車は止まっており、タクシー乗り場には長蛇の列が出来ていた。

 仕方がない。歩いて帰るか。

 歩き始めて数分が経った頃、公衆電話を見かけた。そうだそうだ。俺には今、テレホンカードがあるんだった。もし今日じゃなかったら現金は持ち歩いていないから、公衆電話は使えなかったな。不幸中の幸いだ。

 何十年ぶりかに使う公衆電話の使い方に少し戸惑いながらも、無事に電話が繋がった。

「もしもし、俺だ。大丈夫か?」

「ええ。健太も私も無事よ。あなたは大丈夫?」

「ああ無事だ。電車が止まってて歩いて帰るから遅くなると思うけど、心配いらないからな」

「良かったわ。安心した」

「じゃあ後でな」

「うん。気をつけて帰って来てね」

 これでとりあえず一安心だな。後はゆっくり帰るとするか。

 それから家に着くまでの帰り道、俺は連絡が取れずに困っている人を見かける度に、テレホンカードを渡した。キャッシュレス決算が主流となり現金を持ち歩いていない人が多数派のこのご時世、公衆電話を使いたくても使えない人達がかなりいた。

 おかげで持っていたテレホンカードは全部無くなってしまったが、色んな人達に感謝されて悪い気はしなかった。おもちゃがお預けになっちゃった健太には悪いけど。

 使い道の無かった大量のテレホンカードが多くの人達に役立って、親父も天国で喜んでくれていることだろう。これで少しは、俺も親父に近付けたかな。