名刺タワー(阿刀田高のTO-BE小説工房課題【名刺】没作)

2020年9月26日

 名刺タワーを作ろう。私は突然、そう思い立った。名刺タワーというのは、要するにトランプタワーの名刺バージョンのことだ。

 書斎の引き出しから名刺の束を持ち出すと、私は一枚一枚、枚数を数え始めた。

 おっ、田辺商事の山田さんの名刺だ。懐かしいなあ。私が入社して初めて名刺交換した相手だから、印象に残っている。

 山田さんは大柄で目つきが鋭くて、初対面の時の私は、正直びびっていた。小刻みに震えながら名刺を渡す私を見て、そんなに緊張しないでと、優しく声をかけてくれたんだっけ。今頃山田さん、どうしてるのかなあ。

 あっ、いけないいけない。何枚まで数えたか忘れちゃったよ。数え直しだ。

 こんな調子で、懐かしい名前を目にする度に脱線してしまい、全部で三七五五枚あった名刺を数え終わるのに、丸一日も掛かってしまった。

 二日目、名刺何枚で何段の名刺タワーが作れるかを計算してみると、丁度五〇段で三七七五枚の名刺が必要なことが判明した。二〇枚足りないが、私自身の余っている名刺も使えば、何とか足りそうだ。

 この五〇段という巨大な名刺タワーを作るスペースを確保するため、私は部屋の大掃除を始めた。

 掃除をしていると、一冊の古いアルバムが出てきた。そこには、女房の若かりし頃の姿が写っていて、ついつい見とれてしまった。この頃はまだ、こいつが若くして病気で亡くなるだなんて、夢にも思ってなかったなあ。

 こんな調子で、思い出の品が出てくる度に、昨日と同じように脱線を繰り返してしまい、掃除を終える頃にはもう、日付が変わっていた。

 三日目にして、やっと私は、名刺二枚を三角形にして並べたものを積み上げていく作業に入った。

 しかし、この作業がかなり難しい。フローリングのツルツルとした床が滑るらしく、三角形にした名刺がすぐに崩れてしまうのだ。この調子では、五〇段どころか五段の名刺タワーを作ることさえ厳しそうだ。

 そこで私は、近所のホームセンターで、滑り止め用のカーペットを買うことにした。

 最初はカーペットだけ買ってすぐに帰るつもりだったが、広い店内には様々な種類の家具や生活雑貨が溢れており、ついつい色んなコーナーに寄り道してしまった。

 そんなこんなで、私が店を出る頃にはもう、外は暗くなっていた。

 その翌日から一か月以上もの間、私は自宅にこもり、延々と名刺タワー作りに没頭した。

 最初の一週間くらいまでは、最高でも九段までしか作れず、一〇段の壁を超えることがどうしてもできなかった。

 私は試行錯誤を重ねた結果、細い三角形になるように作った方が崩れにくくなるというこつを発見した。

 この発見を機に、私は記録をどんどん伸ばしていき、今日、四五段目まで作ることに成功していた。

 だがここで、私は重大なミスに気付いてしまった。天井の高さが足りないのだ。この調子だと、どうしても四八、九段目で天井に届いてしまう。細い三角形で作ったことが、ここにきて裏目に出てしまったようだ。

 かなり迷ったが、私の名刺タワーの目標はあくまで、自分の持っている名刺全てを使った五〇段の名刺タワーを作ることである。その目標を妥協してしまったら、一生後悔してしまうだろう。

 私は泣く泣く、四五段の名刺タワーを自分の手で崩した。

 名刺タワーを作り始めて半年後、私は夢にまで見た瞬間に立ち会おうとしていた。そう、この最後の残った二枚の名刺で作った三角形を積み上げることに成功すれば、五〇段の名刺タワーが完成するのだ。

 私の手は、緊張で震えていた。その時、ふと手元の名刺を見てみると、偶然にも、田辺商事の山田さんのものだった。

「そんなに緊張しないで」

 山田さんがそう言ってくれているような気がして、私の手の震えは、自然と止まっていた。

 そして私は、最後の名刺を積み上げた。

「やったぞー」

 私は年甲斐もなく、つい一人で大声を出してしまった。

 

                                                   さっきまであんなに喜んでいた私だったが、急に気持ちが沈んでしまった。定年を迎え、妻も子供もいない私は、これから先、一体何を励みにして生きていけばいいのだろうか。