十三階段(阿刀田高のTO-BE小説工房課題【階段】没作)
夜の閑静な住宅街で、俺は何者かに追いかけられていた。奴の右手には、月明りに照らされた刃物が握られている。
なぜ俺がこんな目に合っているのか、よく分からない。そういえば、どうして俺はこんな時間に、こんな住宅街にいるんだっけ? まあそんなことはどうでもいい。こんな所で殺されてたまるか。
俺は学生時代、陸上部のエースだった。東北のボルトの愛称で、全国大会の常連だったこの俺に、奴が追いつける訳がないだろう。
どのくらい走っただろうか。さすがにここまでくれば、もう振り切っただろう。それにしても、奴は一体何者なのだろうか? 強盗や強姦目的なら、若い女性を狙いそうなものだが、なんで俺を狙ったんだ? 誰でもいいから殺したいとかいう無差別犯だったのかな? いくら考えたって、答えなんて出る訳ないよな。とりあえず、交番に行ってみるか。
ラッキー。こんな所に地図の看板があるぞ。えーと、交番はこっちだな。急がないとな。また奴がくるかもしれない。
交番が見えてきたぞ。やっとこれで安心できるな。
「すみませーん。刃物を持った男に追いかけられているんです。助けてください」
誰も出てこない。パトロール中か? 仕方がない、ここで待っているか。奴も交番の近くには行きづらいはずだ。
あっ、そうだ。指名手配犯の写真の中に、奴がいるかもしれないな。ちょっと見てみるか。
こいつじゃないな。こいつでもない。
えっ! この顔……もしかして、俺? しかも、大量殺人の容疑だ。いやいや、そんな訳ないだろ。世の中には、同じ顔の奴が三人いるっていうしな。でも、名前も俺と同姓同名だし、やっぱりこれ、俺のことだよな?
やばい、やばいぞ。よく分からないが、俺が殺人犯になってるってことは、交番に助けを求めたって、逆に俺が捕まっちゃうよな。急いでここを離れよう。
結局、地図の看板の所まで戻ってきちゃったな。それにしても、訳の分からないことだらけだぞ。突然刃物を持った奴に追いかけられたと思ったら、今度は俺が殺人で指名手配だもんな。くそ、どこに逃げればいいんだ。
んっ? さっきこの地図見た時、こんな傷付いてたっけ? これ、刃物で切った跡じゃないのか。ということは、奴もこの場所にきたってことか。ここも離れた方が良さそうだな。
地図の看板の角を曲がろうとしたその瞬間、人の気配がした。
俺は回れ右をすると、無我夢中で走った。振り返る余裕もない。ただ真っすぐに、必死で走った。
「うわ!」
暗かったせいか、下りの階段があったことに気付かず、俺は階段を転げ落ちた。急いで逃げようとするが、足が折れているらしく、立ち上がることができない。
「コツ、コツ、コツ、コツ」
上から近付いてくる、奴の足音が不気味に響く。
「コツ、コツ、コツ、コツ」
俺は必死でもがいていたが、この足ではもう逃げられそうにない。
「コツ、コツ、コツ、コツ、コツ」
足音が止まった。見上げると、奴が俺を見下ろしていた。
奴は薄ら笑いを浮かべながら、俺の心臓目がけて、勢いよく刃物を振り下ろした。
「一段目終了だ」
刑務官のその声で、俺は目を覚まし、全てを思い出した。
今までの死刑制度は、首つりによるものであったが、遺族達はこの制度に満足していなかった。死刑を受ける罪人の多くは、複数の殺人を犯している。その罪の償いを、たった一回の首つりで終わらすというのは、あまりにも不公平だと訴えたのだ。
そこで誕生したのが、この十三階段死刑制度だ。死刑囚は、死刑執行の十二日前から、毎日一回ずつ、バーチャル世界の様々なシチュエーションで殺される。そして最後に、現実世界で首つりによる死刑が執行されるというものだ。つまり、死刑囚は十三回分の殺される苦しみを味わうことになるのだ。
俺はこの制度を、正直舐めていた。十三回殺されると言っても、その内の十二回は、所詮現実ではない。そう高を括っていたのだが……。
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