安達弾~打率2割の1番バッター~ 第31章 夏の甲子園開幕⑨

 そんな古田の思惑を知る由もない安達は、ついさっき見たばかりの悪夢と全く同じ試合展開に、嫌な予感しかしていなかった。

 安達が打席に立つと、古田はゆったりとしたフォームから軽く右腕を振り下ろした。100キロにも満たない無回転の遅い球が、ゆっくりとキャッターミット目掛けて進んでいく。

(おっせー。でもこれだけゆっくりなら案外簡単に打てるかも)

 安達がそう思ったの束の間、突如として球が不規則に揺れながら落ち始めた。

「ストライク!」

 安達は茫然とその場に立ち尽くし、バットを振ることすらできなかった。

(やばいな。夢で見たナックルよりも厄介かも)

 2球目、古田が再びナックルを投げる。

(ダメ元でも打ちにいかないと)

 さっき見た球の軌道をイメージしながらバットを出すも、それを嘲笑うかのように今度はほとんど落ちないまま外角に逃げていくナックルボール。

「ストライク!」

(さっきとはまるで別の変化球みたいだ。こんな球、一体どうやって打てばいいんだ?)

 安達の頭の中はパニック状態で、最早まともに勝負ができるようなメンタルではなかった。

「ストライク! バッターアウト! チェンジ!」

 最後はバットを出すことすらできないまま、見逃しの三振に倒れた安達。そんな安達の様子を見て、船町北の仲間達以上にがっかりしていたのが古田だった。

(何だよこの様は。甲子園の大舞台にひよっちまったのか? 動画で見た時はすげーバッターだと思ったけど、がっかりだぜ)

 初回の守備を終えたキャッチャーの菊池は、前日の安田監督との会話を思い出しながら思わず呟いた。

「監督の仮説が当たったか」

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「わかりました。それで妥協しましょう」

 安田監督の提案に古田が乗る形で3人の口論が終わったあと、菊池は監督に不安を漏らした。

「監督大丈夫ですか? あんな約束したら、あいつ左で投げるためにわざと打たれようとして適当に投げるかもしれませんよ」

「ああ、それが狙いだ」

「えっ? どういうことですか?」

「ほら、この前の甲子園予選の準決勝、右で先発してノーヒットノーランを達成した試合あっただろ。実はあの試合の時にも古田は、左で投げたいって直訴してきたんだ。そして話し合いの末、点を入れられたら左で投げてもいいって、今日と同じような提案をしたんだよ」

「そんなことがあったんですか。でもあの日の古田が投げてたナックル、何だかいつも以上に球が変化していて絶好調だったように見えましたよ」

「それなんだよ。恐らくあいつは、打たれてもいいって気持ちで適当に力を抜いて投げた時の方が安定して良いナックルを投げられるんだ」

「いやいやそれはないでしょ。だって前に古田がナックルをうまく投げられなくなった時は、力をセーブして投げてたのが原因だったはずですよ」

「多分あの時のスランプの影響で、今度は逆に力を込め過ぎるようになっていたのかもしれないな。それが打たれてもいいと思いながら適当に投げることで、丁度良い塩梅になったのだろう。これはあくまでも仮説だがな」

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(今日の古田の調子なら、またノーヒットノーラン、下手したら完全試合も夢じゃないな)