安達弾~打率2割の1番バッター~ 第15章 スカウトの旅⑨
朝の10時頃。鈴井監督は、昨日から宿泊しているホテルのベッドで目を覚ました。
(頭も痛くないし、吐き気もない。沖縄酒豪伝説、恐るべし。ところで、昨日はどうやって帰ってきたんだっけかな。女将さんと泡盛の一升瓶を空けて飲んでたところまでは覚えてるんだけど、そこからの記憶がない。まさか……)
鈴井監督は慌ててベッドの横を見たが、誰もいない。
(危ねー。これから教え子になる子のお母さんに手を出したとなったら、色々問題になりそうだからな)
ホッと一息つくと、顔でも洗おうとベッドから起き上がったその時、テーブルの上にある置手紙に気が付いた。
(何だこれ?)
その置手紙には、こう書かれていた。
『監督さん、今夜は楽しかったわ。どうか息子を、よろしくお願いしますね』
(何だこの手紙は。こんな手紙があるということは、女将さんはこの部屋まできたのか? そして、やっちまったのか? いやいや、ただ酔っぱらった俺をここまで送ってくれただけかもしれないし、お店でもらった手紙を俺がテーブルの上に自分で置いただけという可能性だってある。落ち着け。多分やってない。いくら酔っていたからって、これから自分の教え子になる子のお母さんに手を出す訳ないじゃないか。それに、女将さんだって昨日、ああ言ってたし……)
鈴井監督は、うっすらと残っていた昨夜の記憶の断片を思い出した。
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「私ね、今でも亡くなった夫を愛してるの」
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(亡くなった夫を健気に愛し続ける女将さんが、そんなことする訳……)
その時、鈴井監督の脳裏に、また昨夜の記憶が蘇ってきた。
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「監督さん、亡くなった夫に雰囲気がちょっとだけ似てるわ」
「そうですか」
「私ね、今でも亡くなった夫を愛してるの。だけど、息子が中学を卒業してここを出て行ったら、私はもう独りぼっち。今までは息子がいてくれたから寂しくなかったけど、これから私、独りぼっちで耐えられるかな」
潤んだ瞳で、鈴井監督を見つめる女将さん。そんな女将さんを、優しく抱きしめる鈴井監督。
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(やばいやばい。この後どうなったんだっけ。うーん……ダメだ。思い出せない。よし、もうあれこれ考えるのはやめにして、これからの予定を立てよう。もうスカウトはできたし、本当はすぐに帰ってもいいんだが……)
スカウトの旅に出発する前、部員達の前で話した自分の言葉を振り返る鈴井監督。
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「理事長とうまく交渉して、死に物狂いてもらった大切な特待生枠だ。だから俺は、本当に活躍が見込めるピッチャーをスカウトできるまでは帰ってこない。2週間後か、3週間後か、はたまた夏休みが終わる来月の終わりギリギリまで粘る可能性もある。そんな俺がスカウトの旅から戻ってきた時に、お前らがどれだけ成長できているか期待しているぞ」
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(みんなの前でああ言ってしまった手前、たったの3日で帰ってきたら拍子抜けされそうだな。最低でも2週間は帰る訳にはいかない。せっかくだし、あと10日ちょっと旅行を続けるか。船町北高校野球部の監督に就任してから、ほとんど毎日練習に付きっきりでろくな休みもなかったんだ。それくらいいいだろう。そうだな……今度は九州にでも行って、本場の芋焼酎を堪能してくるかな)
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