安達弾~打率2割の1番バッター~ 第13章 決勝戦 船町北VS龍谷千葉⑤

 鈴井監督、そして船町北ナインが安達の弱点を知ったのは、春季大会が終わってから数週間後のある練習試合の時だった。

 その日の安達は、1打席目シングルヒット、2打席目スリーベースヒット、3打席目ホームランと絶好調だった。そして4打席目。この打席でツーベースが出ればサイクルヒットという記録のかかった場面だったこともあり、船町北ベンチは盛り上がっていた。

「ツーベース!」

「ツーベース!」

「この打席だけはホームラン打たなくていいぞー」

 しかしこの打席、安達は低めにきたストライクゾーンの球を3球とも見逃して、あっさりと三振に倒れたのだった。

 試合終了後、安達はチームメイト達から質問攻めにされた。

「おい安達、なんでさっきの打席打ちにいかなかったんだ?」

「打ちにいってならともかく、1球も振らないまま見逃し三振はないだろ」

「お前の選球眼なら、打てない球じゃないよな?」

 それに続いて、鈴井監督も安達を問いただした。

「前から思っていたんだが、安達は追い込まれた後も打ちにいかずあっさり見逃し三振で終わってしまう打席が意外と多いよな。それでもあれだけ打っているから今までほとんど言及しなかったが、何か理由でもあるのか?」

「実は……」

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 西暦2013年。12月某日。安達は中学1年生。10歳の誕生日に新しいピッチングマシーンを買ってもらってから3年以上が経っていた。

 この最新のピッチングマシーンは、最高時速160キロのストレートに加えて、カーブ、スライダー、フォーク、シンカ―、シュートの変化球5種類を90~140キロの速さで、変化の大きさも3段階まで調節して投げられるというものだったが、安達は球種、コースともにランダムに出てきて、速度や変化量も最大まで上げた最高難度の設定にして毎日練習に取り組んでいた。

 安達が初めてこの最高難度のピッチングマシーンに挑んだ時は、100球中、ヒット性の当たりはわずか6本しか打つことができなかったが、2年後の12歳になった頃には、平均で20本程度まで打てるまでに成長していた。

 しかし、それから約1年間、安達はスランプに陥っていた。毎日練習しているにもかかわらず、100球中20本程度という成績から全く向上できずにいたのだ。

(俺、野球の才能ないのかな)

 安達はその日、初めて練習をサボって、明日ある期末試験の勉強を始めた。

(あいつがバッティングをせずに勉強だと? どこか体の具合でも悪いのか? いやでも、よく考えたら期末試験前に練習を休んで勉強に取り組むって、学生として至極真っ当な行動だよな。別に気にすることもないか)

 安達の父親は、息子がそんな悩みを抱えていることなど、知る由もなかった。